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ベジタリアンは離乳食づくりをどうするべきか?

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ベジタリアンの子どもはベジタリアン?

 

プロフィールにも書いていますが、私はベジタリアン(ヴィーガン)です。妻はベジタリアンではありませんが、パートナーがベジタリアンであろうがなかろうが、子どもの食事をどうするかは、ベジタリアンにとっては問題でしょう。

 

私がどうしてベジタリアンになったのかといったことはそのうちに書くとして、今回は、ベジタリアンとして子どもにどのような食事を与えるべきか、私自身の意見を書きたく思います。

 

私は、子どもには離乳食として肉や魚などを与えています。しかし、本音を言えば、与えたくはありません。私自身の立場は以下のようなものです。

  • 人間が人種や性別に関わらずに倫理的な配慮の対象となる根拠(の一つ)は、こういったカテゴリーに関わらずに人間が苦痛などの感覚を感じることにあると考えられる。そうであれば、苦痛を感じる(と思われる)動物についても倫理的な配慮の対象とするべきであり、不当に危害を加えることはできない。
  • 仮に人間だけを倫理的な配慮の対象とするとしても、人がベジタリアンとなることには人間自身にとってもよいことだと考えられる。たとえば、肉の生産にはその何倍もの飼料が必要であり、その飼料生産に必要な土地とエネルギーを人間の食料生産に振り替えれば、地球規模での食料問題は解決されうるし、農業生産を減らすこともできるはずなので環境への負荷も低減される。

 

それでどうして子どもにはベジタリアンの食生活をさせていないかというと、以下のような理由によります。

 

ベジタリアンになるか否かは子どもたちが自分で決めるべき

 

上で述べたように、私の妻はベジタリアンではありません。それでも、私が動物解放論を指示するということに理解を示してくれてはいますし、家庭では基本的には私と同じくヴィーガンの食生活を送ってくれてもいます(でなければ結婚できなかったと思います)。しかし、ベジタリアンになったというわけではありません。

 

同様に、ベジタリアンの生活のほうが倫理的によりよいということを理解していながら、それを実践していない人は多くいると思います。たとえば、『動物からの倫理学入門』という本を書かれた哲学者の伊勢田哲治さんは、倫理学的には動物解放論が有力であるとしながらも、少なくともこの本の執筆時点ではベジタリアンではありません。

 

私自身ももちろん感じていることですが、ベジタリアンの生活を実践しようと踏み切るのは、あまり簡単なことではありません。とくに日本では、欧米で実践するよりもずっと難しいでしょう。何か危ない宗教にはまってしまったのではないかとか、食文化を侮辱しているとか、そういったことを言われることもあります。

 

こうした困難を、まだ言葉もわからない赤ちゃんに、本人の分からないうちから背負わせてしまっていいものか、私には自信がありません。

 

チャンドラセカールという高名な物理学者の伝記で、以下のような下りを読んだことがあります。チャンドラセカールは、物理学の研究のため、故郷のインドからイギリスへ渡りました。そこで彼はベジタリアンの生活を厳格に守るのが難しいと思い知らされることになりますが、それでも、それまでベジタリアンでいつづけたことを誇りに思ったそうです。
インド生まれたのであれば、ベジタリアンの生活を誇らしく思うことが容易にできるでしょう。しかしあいにく日本はインドではありません。

 

私の理想は、子どもたちもベジタリアンになることです。しかしそれは、誰かに強制されてであってはなりません。自分たち自身で考えた結果として、その決断によって被るかもしれない種々の不条理を自身の責任で引き受ける決心をしたうえで、自分が正しいと思う生き方を選び取ってもらいたいと思っています。