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種差別と生物学:池田清彦氏の「反・種差別」への反論への反論②

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ひきつづき、池田清彦氏の論考を検討していきます。前回の議論からは、たとえば氏の以下のような表明についても、倫理学的には批判の余地が大いにあることになります。痛みを感じるという利害を倫理的な配慮の基準にするなら、人間でなくとも不当に痛みを与えて殺して食べることは、倫理的には当人の自由というわけにはいかなくなるからです。

何を食うか食わないかは、人を食ったりしない限り基本的に自由で、ビーガンが動物を食わないのは本人たちの勝手であって、何の問題もない

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83574?page=2

今回は、この「倫理的な配慮の基準を痛みなどの利害に置く」という前提のもとで、以下の部分について論じてみます。

ビーガンは植物のみを食べるというが、野生のものでない限り、人間が食べる植物は耕作地で作られている作物であることが多く、作物を食べる害虫を殺戮した果ての産物である。牛や豚の命は守るべきだが、害虫は殺しても差し支えないというのは、種差別そのものである。どこかで守るべき命と守らなくてもいい命の線引きをしなければ、人はそもそも生きていけない。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83574?page=3

害虫を殺すことは種差別か

上記の引用部で、氏は牛や豚の命を重視する一方で害虫は殺すという立場も「種差別」ではないかと、反・種差別論者を批判しています。

「種差別」という言葉の捉え方によっては、確かに、牛や豚に配慮して害虫には配慮しないということは、差別にあたるでしょう。種差別が「すべての生き物を平等に扱うべきだ」という主張なら、牛や豚と害虫を異なる仕方で扱うわけにはいかなくなります。

しかし、ピーター・シンガーをはじめとする哲学・倫理学の世界の論者が訴える種差別は、このような考え方ではありません。先述した利害関係の有無を配慮の基準にするなら、牛や豚と害虫はやはり異なった仕方で扱ってもよいという結論になります。牛や豚は、生物学的にもおそらく多くの人の直感でも、痛みや恐怖を感じます。牛や豚を棒で刺せば呻くでしょうし、痛みを感じるための神経系が発達しています。これらの動物が環境(たとえば、動物工場の狭いケージという飼育環境)にてストレスを感じていることも示唆されます(この辺りは生物学の参考書や伊勢田哲司『動物からの倫理学入門』などを参照いただければと思います)。

倫理的に配慮すべきかどうかの基準を利害の有無に置き、そして牛や豚が痛みという利害をもつなら、牛や豚に痛みという害を与えることは倫理的に正しくないことになります。

その一方で、昆虫などの害虫は、痛みを感じるほどの神経系・脳をもってはいません。この点で、害虫を殺すことと牛や豚を殺すことは違います。もちろん、虫であっても無礙に殺してはいけないといった議論はあるでしょうが、それを論理的(倫理的・生物学的)に説明することは困難です。

言い方を変えると「人間は殺してはいけないが牛や豚を殺すのはよい」ということは、「牛や豚を殺してはいけないが害虫を殺すのはよい」ということよりも、論理的な説明が困難です。

なお、猪や鹿といった害獣については、牛や豚や人間と同じく哺乳類であり、痛みを感じるはずですから、単に畑を荒らすからといって殺してよいことにはなりません。畑を守るにも、できるだけ苦痛を感じない仕方で行うなどの工夫が望ましいということになるでしょうが、ここでは立ち入りません。

動物の権利や動物解放といった文脈で使われる「種差別」という言葉は、少なくとも倫理学的な用語として用いられる場合は、このように、「利害があるものは平等に扱うべきであるから、種を理由として差別することは善くない」ということを意味しています。この考え方を基礎とすると、池田氏の以下の文章も問題をはらんでいることになります。

一番合理的で多くの人が納得するのは人とそれ以外のすべての生物の間に線引きをして、人間は特別だとする考えである。もちろんこの考えにも超越的な根拠があるわけではないが、それ以外の所での線引きはすべて恣意的になって、合理的に根拠づけることは不可能だ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83574?page=3

「人とそれ以外のすべての生物の間に線引き」することは、一番納得する人が多いかもしれませんが、はたして「合理的」でしょうか。「生物学的な種が同じであること」と「利害があること」のどちらをより合理的な線引きとするが、ぜひ考えていただきたいと思います。

まだまだ種差別という言葉は日本で知られていない言葉ですので、その倫理学的背景まで理解して使われている場合はごく少数かと思います。ぜひ、このような基礎のある言葉であるということ、理解が広まればと望んでいます。

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