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子どもは人より犬を救うことを選ぶ?

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動物解放とかヴィーガニズムとは少し離れるのですが、面白い記事を見かけたので紹介します。

https://www.psychologytoday.com/intl/blog/animals-and-us/202102/why-do-children-prefer-save-dogs-over-people-0

「子どもは命の選択をしなければならないとき、人の命より動物の命を救うことを選ぶ傾向がある」というものです。それぞれ200人強の大人と子ども(5歳から9歳)を対象とした以下のような実験が引用されています。

この実験では、次の条件下で、被験者がどのような判断をするかを訊いています。

  • 2艘のボートが沈もうとしている
  • そのうちどちらかしか救うことができない
  • 一方には人が、もう一方には犬(もしくは豚)が乗っている。その数は、人1名対犬100匹から、人100名対犬1匹まで複数のパターンがある
  • 被験者は、それぞれのパターンについて、人と犬のどちらを救うかを選ぶ

大人では、人1名対犬100匹でも60%以上が人間を救うことを選びました。それに対して、同じ状況で人を救うことを選ぶ子どもは10%程度しかいなかったそうです。さらに面白いことに、人1名対犬1匹でも、人を救うことを選んだ子どもは30%と半数未満で、人100名対犬1匹でも人を救うことを選んだのは70%にとどまる(つまり、残りの30%の子どもは100人を犠牲にしても犬1匹を救うことを選ぶ)ということです。

動物解放の考え方では、「種差別」というキーワードがあります。白人に対して黒人を差別することが不当であるように、また、男性に対して女性を差別することが不当であるように、人間に対して動物を差別することは不当である、という議論です。

「人間と動物は違うのだから差別はあって当然」というのが普通の考え方かもしれませんが、この議論は「白人と黒人は違うのだから差別はあって当然」という議論と同じようなものです。何をもって違うとするのかが議論のポイントですが、「種」の違いが「人種」の違いより決定的だとする根拠がなければ、人種差別を不可としつつ種差別を可とすることはできません。

このとき、どのような利害について論じているのかを明確にしなくてはなりません。もし教育の機会均等の話なら、種差別は認められるでしょう。人間にとって教育が重要な意味をもつ一方で、牛は学校教育を受けても何の利益も得られません。しかし、拘束からの自由という話なら、種差別は難しくなります。昆虫なら、狭い虫籠に閉じ込められても、ストレスは感じないかもしれません。しかし体の向きを変えることもできないような小さな檻に閉じ込められている牛は、ストレスを感じます。利害があるのなら、その利害は配慮の対象とすべきです。

上記は極めて簡単な説明にとどまりますので、より詳しくはピーター・シンガーの著作などを参照いただければと思います。

話を戻します。子どもが犬を人間と同等以上に配慮の対象としているということは、人間は生まれながらに種差別をしているわけではない、ということになりそうです。種差別が、成長の過程で発現するやはり遺伝的なプログラムなのか、それとも教育や環境によって習得することなのかは分かりませんが、子どもの視点からの善悪の判断から学ぶべきことはありそうです。

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