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なぜヴィーガンになったのか?(1)

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自己紹介がてらに、私がヴィーガンになった経緯を書きます。
それを通じて、ヴィーガンやベジタリアンの生活に興味がありながらも一歩を踏み出せないでいる読者の方を後押しすることができればと望んでいます。

また、ベジタリアニズムに否定的な人には、さしあたりは、世の中に過激な運動などするベジタリアンも確かにいるものの、「普通の」ベジタリアン・ヴィーガンはまさに人畜無害で、世間とうまく折り合いをつけて自分たちなりの生き方をしようとしているだけなどだということを、分かっていただければと思います。

なお、人に説明するとき、面倒なので私は自分のことを「ヴィーガン」と形容しますが、本心としては、私はヴィーガンである前に動物開放論者です。
ヴィーガンと動物開放論者がどう違うか、あるいは動物開放論者と動物愛護論者がどう違うか、といったことがお分かりであれば上記の説明で私の言わんとするところは理解していただけるのではないかと思っていますが、差し当たりはこの細かいところは措いて、私がヴィーガン(と世間で呼ばれ、自分でも一応自称する種類の人間)になった経緯を語ります。

私は1987年の生まれで、地方都市の郊外の、ちょうど都会と田舎の中間くらいの町で育ちました。車で30分も行けば100万都市の繁華街に近いところに至る一方で、反対方向に30分行くと過疎化の進む限界集落のようなところがありました。

私の家の周りは、小学校に上がるころまではほとんどが田んぼで、毎日のように虫取りをして遊んだものでした。

それが、中学に上がるころには、田んぼの半分くらいは埋め立てられてアパートやマンションになり、「原風景」とも言うべきものは、あっという間に失われてしまったのでした。

さて、少なくとも幼いころは虫とか動物に囲まれた生活をしていたので、なんとなくではありますが、「動物を殺して食べる」ということに違和感がありました。

大人たちは「かわいそうだから動物をいじめないように」といったことを言う一方で、牛や豚や鶏や魚は何のためらいもなく食べている。私自身も、肉の味は好きでした(今でもその味は覚えていて決して嫌いではありません)から、それを批判することは到底できなかったのですが。

さて、小学校も高学年のころになると、どこからか、「ベジタリアン」という言葉を聞くことがありました。その当時は、好きな肉を断って、野菜だけ(実際にはベジタリアンは野菜だけで生きているわけではないのですが)で生きるということがひどく難しいことだと思いつつも、そうした動物にやさしい生き方ができれば素晴らしいことだと、半ばあこがれのように感じていました。

転機が訪れたのは、中学生のときに、縁あってイギリスを旅行したときのことです。

それまで、ベジタリアンというのは、私にとってはどこか遠い世界にいる人たちでした。ところが、イギリスを旅行してみると、片田舎のレストランにも、メニューにベジタリアン用の料理がある。
実際にベジタリアンに出会ったわけではないのですが、ベジタリアンというものが現実に生きている、それも普通のレストランが考慮すべき対象とするほどに市民権を得た生き方である、ということに驚くとともに、そういう生き方を選ぶのはそれほど特別なことではないのかもしれない、と考えるきっかけとなりました。

そうしてすぐにベジタリアンになる、というわけではなかったのですが、この体験がなければ、ベジタリアンになるのにもっと時間がかかったのではないかと思います。

肉を食べないという選択が少なくともある土地では普通の生き方であるということ。これを知ることは、大きな一歩でした。

つづく。

ベジタリアン・ヴィーガン・動物解放論者の違い

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社会生活を送り、他者との接点をもつ上で、動物解放論がもっとも影響するのは食事のことです。何を食べられるのか、何を食べないのかといったことは、ベジタリアンでない人と一緒に過ごすときに、一番頻繁に問題となることです。そこで必然的に、とくに説明する時間があまりない場合は、私は自分のことをベジタリアンないしヴィーガンと自己紹介することが多いです。

一方、時間がある場合や、深いつながりが生じるであろう相手には、私は自分を動物解放論者だと形容します。

動物解放論と、ベジタリアニズム・ヴィーガニズムは、同じものを指す場合も多いですが、意味するところが異なる場面も多々あります。

動物解放論とは

一般的には、動物解放論はベジタリアニズム・ヴィーガニズムを含むと思われます。奴隷解放や女性解放と同様のロジックで、道徳的配慮の対象として適切に認められていなかった動物という主体にもしかるべき配慮をすべきであるというのが、動物解放論の概要です。したがって、動物解放をとなえるなら、ふつうは動物を殺さない、傷つけない、すなわち動物を食べないというライフスタイルをもつことになります。ただし、動物に今以上の道徳的配慮をすべきと論じていても、それが動物を食べることをやめることまでは要求しない可能性はあります。この場合、動物解放論者であっても、必ずしもベジタリアンであるとは限りません。

ベジタリアニズムとは

一方、ベジタリアンという言葉は、基本的には食生活のスタイルを指すものです。動物解放論の一環としてベジタリアニズムを実践していることも多いでしょうが(私もこれに当てはまります)、肉が嫌いだから食べないとか、アレルギー等の理由でそもそも肉を食べられないといった人も、ベジタリアンであるわけです。また、動物解放論者は食用以外での、たとえば皮や毛といった形での動物の利用も拒否することが普通ですが、動物解放論以外の理由でベジタリアニズムを実践している場合、皮革製品などを使用している可能性があります。

ヴィーガニズムとは

ヴィーガニズムは、ベジタリアニズムをさらに進めたもので、卵や牛乳といった動物の生命を奪わない形であっても、動物の食用での利用を拒むものです。殺されなくとも、狭いケージに囚われてストレスの高い環境で生きざるを得ないのであれば、その動物はしかるべき道徳的配慮を受けていないことになる、というのが、動物解放論的な見地からヴィーガニズムが推奨される理由です。その一方で、たとえばマクロビオティックのような、基本的には人間の健康を旨としての食生活も、内容としてはヴィーガンのものと同様ですから、動物解放論者とヴィーガンが必ずしも重なるわけではありません。

まとめ

上記のように、動物解放論が動物に対する道徳的配慮を要求する立場である一方で、ベジタリアニズム・ヴィーガニズムは動物を食べることを拒むという食生活の面での実践です。私は、より正確に説明をするなら、動物解放論を唱えてヴィーガニズムを実践している、ということになります。

実践していない人にとってはいずれも似たような概念に思えるかもしれません。ベジタリアンや動物解放論者と呼ばれる人々がそれぞれどのような立場をとっているのか、上記で大まかに捉えることができると思います。

ベジタリアン・ヴィーガン料理を提供する旅館を探す時のキーワード

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私は温泉のある旅館に宿泊してゆっくりと時間を過ごすのが好きですが、旅館での宿泊には食事の面で問題があります。多くの旅館では夕食も朝食も提供されるので、ホテルに泊まる場合と違って、ベジタリアン向けの食事を自分で確保するということがしにくいからです。

 

多くの旅館は、問い合わせをしてよく説明をすれば、ベジタリアン・ヴィーガン向けの食事を手配してくれるようです。とくに小さな観光地では旅館の選択肢が少ないことがしばしばあり、そこがベジタリアン対応してくれないならばその地域には泊まれないという状況もありますが、今のところ、私はそういうときにもヴィーガン向けの食事を準備してもらえなかったことはありません(ときどき、誤解があって牛乳が使われていたことなどもありましたが)。案外、柔軟に対応していただけるものです。

 

それでも、ベジタリアン向けの食事を提供してくれる旅館を簡単に検索出来ればとは思うものです。残念ながら、今のところは、そういった旅館を紹介するまとまったサービスは無いようです。

 

私は、旅館に泊まろうとする場合、宿泊希望の地域名と、「旅館」、それから「ベジタリアン」や「ヴィーガン」といったキーワードでGoogle検索をして、じゃらんやその旅館自身のホームページの情報に引っかかるものがないか探しています。これで見つからない場合でも、「精進料理」で探すと見つかることもあります。それでも見つからない場合は…仕方がないので電話で交渉するか、あるいは、近くによいベジタリアンレストランがあるようなら、素泊まりのできる旅館を探します。

はじめに

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私はいま、双子の男の子の面倒を見るため、パパママ育休プラスの制度を使って、2カ月間の育児休暇をとっています(2017年末時点)。

これをきっかけとして、ブログをはじめてみることにしました。仕事と距離をおいて、子どもたちが日に日に成長するのを実感しながら過ごしていると、私もなにか新しいことをやってみようという気持ちになったからです。

ときには気分によってその場限りのテーマで書くかもしれませんが、基本的には、動物開放論、ないしはベジタリアニズムについて語っていくつもりです。私は2006年からベジタリアンで、2010年からはヴィーガンです。ベジタリアンはまだごく少数派ですが、最近は、テレビなどのメディアでもベジタリアンという生き方が多少とりあげられるようになってきました。

しかし、なぜベジタリアンになるのかということについて、まじめに語られることはほとんどないように思います。残念ながら、いまの日本では、大多数の人にとって、動物を搾取しないという生き方は、ただの酔狂であり、他人事でしかありません。ベジタリアニズムは、「なぜ肉を食べないのか?」という形で問われることがほとんどです。これは、マイノリティであるベジタリアンを特異なものとみなすだけで、日常や自分自身に跳ね返ってくる問いではありません。

ベジタリアンの側からのマジョリティへの問いかけはこうです。「なぜ肉を食べてよいのか?」あなたがベジタリアンでないなら、どうかこの問いに納得のいく答えを与えていただけないでしょうか。もしこの問いを自問したことがないなら、このブログが、それを考えるきっかけとなることを願います。